はじめに

浅野川の辺を少し急ぎ足に歩きながら、私は色々と思い出していた。崇信学舎での児玉曉洋先生のお話までまだ時間があるので、平野喜之さんがひがし茶屋街へ案内してくださったのだった。私の曾々祖父は明治時代、もう少し川を下った割出村の寺から大阪の受念寺に入ったと聞く。ご先祖様もこの流れを眺めていたのだろうか。しかし私が医師になった十五年前、今ここを歩いているとは夢にも思わなかった。大学病院を離れ大谷大学に編入学した五年前、宮下晴輝先生に出会い仏教の学びが始まった。先生が開かれた安田理深選集の輪読会で平野さんに出会い、相応学舎に足を運ぶようになった。

辞めようと思っていた医師の仕事を続けることにした。医療現場での問いを仏教にたずね、仏教の学びを現場で確かめたいと思った。医療現場といっても何も特別な所ではない。そこには各々の生活があり人生がある。しかしそこでは老病死が差し迫った問題として提起される。そのことを考えるとき、まず触れないわけにはいかない出来事がある。そこから少しお話ししてみたい。

(『崇信』2015年9月号(第537号)に掲載)

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「病と生きる」は『崇信』に連載されている記事。『崇信』は1971年(昭和48年)1月からつづく、金沢「崇信学舎」の機関誌である。

「崇信学舎」とは明治以来100年以上続く歴史ある学びやである。多くの人物を輩出した「第四高等学校」(四高)と「金沢医学専門学校」の学生たちが結成した修学塾として始まった。仏教を中心として広く思想を学び語りあうことを通して、「生きる」ということについての深い学びと豊かな思索の場として様々な人物を育て、日本の宗教界のみならず思想界全体に大きな影響を与えてきた。

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